それは「調査」とはいいません

2008.01.31 Column 2 Comments boff 1,540 view

調査において、その前提となる「仮説」や「問題設定」は非常に重要で、それらは調査の目的となる。
この調査目的に基づき調査手法、サンプル数、調査エリア、調査期間、調査票やインタビューフローの作成、分析・解析の方法など、調査全体のフレームワークを形成する(この一連のプロセスを「調査設計」と呼ぶ)。
当然一方では調査予算をにらみながらということになるのだが。
調査のフレームワークが決定されたのち、実査やフィールドワークを実施し、そこから得られたデータや意見を集計・電算処理、あるいは解釈を加え、その分析結果を報告書のかたちにまとめる。
以上が、われわれが行う「調査」の一連のプロセスだ。

調査結果→実査・フィールドワーク→調査設計→調査目的というように、調査のプロセスをさかのぼると、すべては調査目的がベースになっていることがご理解いただけるだろう。
つまり、調査目的の仮説や問題設定が適切かどうかで、最終的なアウトプットの成否が決まるといっても過言ではない。
だが、必ずしも期待されたアウトプットが、調査した結果から得られないケースがある。
例えば、「この商品があまり売れない理由は値段ではなく商品内容のPRが不足しているからではないか」といった前提に基づいて調査を行った結果、「PR不足」ではなくやはり「価格設定」に問題があったという結論に至るような場合だ。
さて、これは調査結果が間違っているといえるだろうか?
「価格ではなくPR不足だ」と問題を設定した主体からすれば、「PR不足」という意図した結果が得られなかったという意味で、調査ミスだと思うかもしれないが、調査結果からその問題設定の成否を判定することを、われわれは「検証」と呼ぶ。
こういった局面でわれわれに求められることは、調査結果に対して謙虚になるという姿勢である。
つまり、調査結果が間違っているのではなく、調査の前提が間違っていたのだと。
そもそも調査をする意義は、調査前に意図した結果が得られることよりも、むしろ想定していなかった結果が得られたときのほうがあるかもしれない。
なぜなら、始めからわかっていることを調べる必要はないからだ。
だが、ときどき「こういう結果が出るような調査をしてほしい」というオーダーがかかる場合がある。
すでに頭の中でストーリができあがっていて、そのストーリーに調査結果を無理やり当てはめ、表面上は調査から得られたデータ類で客観性があるかのようにみせかけるような調査オーダーである。
そういう注文をいただいた場合、Marble-Labは丁重にお断りしている。
というのも、そういった行為は調査ではなく、ご都合主義なデータの捏造だからだ。
マーケティング・リサーチを生業とする以上、どんなことがあっても捏造の片棒を担ぐことはできない。
それは単なるプロとしてのプライドという問題ではなく、マーケティングの果たすべき本来の役割に忠実でありたいからである。

Reaction

  1. piccard より:

    わたしは、結果ありきの調査のことを「提灯調査」(提灯記事もじって)と呼んでます。
    調査の仕事をしててある程度慣れてくると、けっこう簡単に結果は誘導できるもんであると舐めたりするわけですが、良心的な呵責を覚えるよりも、全然やってておもしろくないから私はそれをやらんのじゃないかと思ったりする。
    最初に立てた仮説が違っていることの方が、なじぇ?と行きつ戻りつしながら考えて、ああ、こういうことだったのかと納得できる瞬間がとても楽しいからです。
    「マーケティングやら当てにならん。わしの勘どころの方が正しい」と言うしゃっちょさんから、その「勘どころ」のキモを聞く方が、結果ありきの調査を依頼する業界の人らと話すよりはよほど有益であることも事実ですね。

  2. Boff より:

    「提灯調査」、まったくおもしろくないですね。
    そういう調査はお金のムダなんでやる必要がないと思います。
    もちろん前提があるんですからある程度結果を予測しながら調査プロセスは進行しますよね。
    しかし、調査した結果、新たな事実が浮かび上がるとき、その発見に感動すら覚えるときがあります。
    それってほんの些細なひとことだったりすることもあるんですけど、そういうことを敏感に察知するセンスが重要ですね。

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