「いいね」の重み #Facebook
Facebookでお馴染みの「いいね」ボタン。
多くのソーシャルメディア系のサイトでは実装されている機能で、手軽に相手の日記や写真などを評価できるので便利です。
しかしながらFacebookを使ってみて、「いいね」ボタンについて思うことがあります。
確かに、本来の好評価という意味で「いいね」を押すことが基本ですけど、実際のFacebookのユーザーは、「見たよ」くらいの社交辞令的ニュアンスで「いいね」ボタンを押す場合がほとんどではないでしょうか?
場合によっては、会社の上司から無理やり「いいね」を押すことを強制されている哀れな部下による「いいね」も数多くあるかもしれません†1。
また、少しひねくれた角度からだと、とある誰かの日記や写真に「いいね」がついている場合、誰が「いいね」を押しているのか見た上で「いいね」を押すかどうか判断している場合があります。
それが好評価を示す「いいね」であろうと、単なる足あととしての「いいね」であろうと†2、あえて「いいね」を押さない場合があるということです。
あるいはその逆に、「いいね」を押している人たちのキャラクターやタレント性から判断して、「いいね」とは思ってないのに「いいね」を押す付和雷同型アクションもあるかもしれません。
他方で、次のようなとても痛々しい話を聞くことも増えています。
ソーシャルメディアマーケティングを効果的に展開するためには、とにかくFacebookでファンページを作って『いいね』を数多く獲得することです。
Facebookをテーマとした得体の知れないセミナーや勉強会での講師、あるいはとりあえず「Facebook」と言っておけば説得力が増す程度の知識しかない営業マンなどが、いかにも口にしてそうなセリフですね。
極端な場合、「いいね」の数自体を商品化して売買する会社もあるとか。
「いいね」自体がなんだかわからないのに、そのカウント数がいくらあってもいったい何を意味するというのでしょうか?
単に「数は意味がない」ということではなく、その中身(つまり質)についても目を向ける必要が今後ますます高まっていくと思います。
秀和システム
売り上げランキング: 980,989
Notes
- アメリカでは「いいね」を押して解雇されたケースもあるようです ↩
- 事実、コメントやシェアされた分などもカウントされるので、正しくは何らかのアクション数ということらしいです→「いいね!」ボタン横の値は、「いいね!」の数だけではない ↩
Only Japanese comments permit.
TrackBack URL